vol-1061:GHQは日本企業にジョブ型を導入できなかった
敗戦後の1946年7月に、GHQが招聘した米国労働諮問委員会は、「我が国の賃金に対する批判と勧告」という報告書を作成し、賃金方式を「ジョブ型=職務給」に変更すべきとする方針を打ち出したという歴史的事実がある。しかし、四半世紀を経過した1970年になっても「ジョブ型=職務給」を導入した大企業は18%にすぎなかったという。この事実から見ても、「ジョブ型」を日本的経営において根付かせることが如何に困難かがわかる。独裁的な権限を持っていたGHQが旗を振っても根付かなかった「ジョブ型」が軽々に定着するわけもない。
『現在の如き年齢、性及び婚姻状態の相違に基礎をおく賃金給料制度は経済的に不健全であり関係被傭者に対しては不公平であり……本委員会は日本政府及び日本の民間産業が職務評価の健全な原則即ち被傭者の個人的条件即ち性、年齢或は、婚姻状態に基かず、当該職務に必要な義務及び責任に基づく所の賃金給料制度に向かって努力することを勧告する』 (我が国の賃金に対する批判と勧告:米国労働諮問委員会)
1947年4月に来日し、日本の賃金慣行を視察した世界労連日本調査団も、『国有事業をも含めた産業において賃金制度は、職業能力、仕事の性質、なされた仕事の質や量に基礎をおいていない。時として、それは勤労者の年令や勤続年限によっている。また、われわれは、調査にあたって男女労働者の基本賃金を発見しなかった。というのは、報酬は子供の数に基礎がおかれているが、これらの家族手当の性質は、価値を決定しえないのである。代表団は全部このような賃金決定方法を非難した。かかる方法は、雇主の意思のままに誤用され、差別待遇されうる道を開くものであるという事実はさておいても、方法そのものが非合理非経済的である』と厳しく批判している。
敗戦後、廃墟と化した日本において、「賃金」は「家族が生きるための糧」であり、「生活給」であった。「生活給」とは、従業員の生活に必要な費用を賄うことを目的とした賃金のことを指す。この考え方は、「人が生きていくうえで必要な生活コスト(家族の扶養、住宅、教育など)を企業がある程度保障するべきだ」という、福祉的な視点に基づいている。このため、家族生活を支援するための様々な「手当」が設けられ、「就職すれば何とか生活が維持できる」という設計になっており、家計に対する負担が大きいという観点から「子供の扶養数」が重視されていた。要するに、「ジョブ型」とは大きく懸け離れた給料体系であった。
終戦直後は、大量の失業者、兵隊の復員、戦禍による流通経路の寸断、食糧難などにより悪性インフレが発生し、人々は、「タケノコ生活」と呼称される窮乏生活を余儀なくされていた。一方、1945年12月に労働組合法が制定されて労働組合が結成されると、労働組合はインフレに対処するべく、賃金の増額を経営者に要求するようになり、「食える賃金」という考え方をベースに「生活給的な諸手当」の増額や新設が行なわれた。戦時中は、「統制方式形態」で指定された学歴・経験・年齢・技能による初任給を基礎とする「基本給」と「能力給」に時間外割増給・家族手当・特殊作業手当を加えた賃金が支払われたが、圧倒的な比重を占めていたのは諸手当。このため、大幅な賃上げという形ではなく、諸手当の増額を求める声が多かったほか、手当の新設が相次ぎ、種類が数十にも及ぶということが至る所でみられたという社会的な背景もある。
当時から、日本企業では、「職務ではなく、人に支払う」という考え方が強く、賃金は「職務の成果」よりも、「年齢・勤続年数・扶養家族の有無」などを加味した生活基盤支援型となっていた。年齢が上がれば、結婚・子育てなど生活コストが上がると考えられ、「生活給」もそれに応じて増額される。この考え方が、年功賃金制度や終身雇用制度と密接に関連していた。日本企業は従業員を「家族のように」扱うことで忠誠心を高め、長期雇用を前提とした雇用形態を築く。また、社会保障制度が整備される以前は、企業が従業員とその家族を支えるセーフティネットの役割を担っていた。
もっとも、雇用する企業の立場からすれば、労働者の能力やパフォーマンスと関係のない「生活給」をいつまでも維持するわけにもいかない。このため、日本経営者団体連盟は、1949年に『賃金形態については・・・身分給的、非科学的決定方法を是正して、科学的職務分析による仕事の客観的価値内容と、労働者の正しい能力評価とによって定められる職務給に代替せらるべきである』という方針を打ち出したが、職務給の算定に必要な標準作業量の設定など科学的な職務分析が進まなかったほか、労働組合が猛然と反対したため、「ジョブ型=職務給」への移行は遅々として進まなかった。結局、1960年代に入って、「職務給」とは異なり、「能力」をベースとする賃金形態が採用され、日本型の「職能給」が形成された経緯がある。
要するに、「ジョブ型雇用」の導入は、過去に幾度も試みられてきたのだが、日本的な企業風土によって改変・阻止されてきた。そして、今回の「ジョブ型騒動」も日本的に換骨奪胎されて終わりを迎えるのだろう。



